気がついたから始めなくちゃいけない

様々な物に感化されて、小説を書いたりポストカードを書いたり、いろいろな事をして私はものづくりをしたかったんだなと気がついた。

人の心をざわつかせたかったんだと思う。

 

昔から、小説のようなものを書こうとしていた時期があった。だけど、ヘタクソだからという理由でそれを放棄した期間が長かった。

大学のゼミで、毎週A4コピー用紙1枚分の文章をかけというお題が出された。A4コピー用紙1枚分の文字数は1200文字前後だ。私は毎週提出したわけではないが、自分なりに考えて日々の出来事を綴った。楽しかった。下手でも伝えようとする姿勢や書き続けることでコツを理解することができた。ディテールにこだわり過ぎると伝わらないことがある。どんなに些細なことでもクローズアップの仕方で面白い話になる。気づくことが沢山あった。

私は、高校生のあの頃に諦めないで続けていればよかったと思った。表現したい風景や情景をもっと書くべきだったと。書けば書くほどマシなものになっていく。慣れだろうか。とはいえ、手癖の強い文体に嫌気が差すことも多い。私は視覚的な文章の書き方をする。文字を読んで、映像が浮かぶような動作表現ばかりになる。聴覚や体験に訴えるような表現が出来ない。それは誰かが書いた作品をあまり読まないからで、映像作品が好きであるための弊害かもしれない。それが悪いことではない。ただ、自分の中で気になっているのだ。

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他人の文章や絵を見る機会はあるだろうか。自分で書いたノートの端のイラスト以外に絵の具を使ったものや、ボールペンだけで書かれたモノクロの作品を。見る機会を持っているだろうか。

私は少しだけある。友人の文章を読んだり、落書きをみたりする。

出来たらイラストを見たい。知り合いが書いたものが見たい。なんでだろう。どのような表現をするか、表現の仕方をとるかが気になるんだと思う。

友人の文章は自分の経験を想起させる書き方をする。支離滅裂な文字を書き連ねていることがあるけれど、彼女の文章が好き。ああいう、ものの見方をした書き方をしたい。

 

もっと早くいろいろなことをやっておけばよかったな、と思う。絵を書いたり、好きなものに熱中したり、そういうことをすればよかったと思った。

女子高校生が好きなものに傾倒してイラストを書きなぐってTwitterで遊び回っているのを見て、ああ、羨ましいなと思った。

私は高校生、大学生になってから、 自分の好きなものを表現することを控えるようになった。ROM専ってやつ。でも、もっと、やっておけばよかったなって思うから、今からだけど始めなくちゃって思った。

 

それでも、表現をして、発表することが苦じゃなくなったのは他人の視線に敏感に反応しなくなったこと。その視線が向けられる理由や意図を理解したこと。自分自身の評価されたい欲望と自身の器を理解したこと。それだと思う。

独りよがりに悩むこともなくなったから、自己承認ができるようになりつつあるからだと思う。いい傾向かな、私としては。

 

だけど、いけないって表現はどうなんだろうね。