動物に例えるよりも話をした方が早い

ちょっとした時によく聞かれる「自分を動物に例えるなら」という問についてぼんやりと的をずらしながら考察してみる。

 

私が小学生の頃(2001~2006年)はプロフィール帳を友人に書いてもらうことが楽しみであった。それは様々なキャラクターをもした台紙に住所から血液型、誕生日、好きな食べ物や映画、音楽、個人の様々な情報を手に入れることで、多くの友人にプロフィール帳もといカードを書いてもらい集めることはある種のステータスであったように記憶している。その頃から私は幾度となく「あなたを動物に例えると」という質問にぶちあたってきた。当時はなんて書いてやり過ごしていたか分からないが、中学生、高校生と過ごす間にそのような質問に出くわす機会は減り私はそのような質問をされた過去すら忘れていた。しかし、大学4年生、ここにきて再びその問題に直面している。

就職活動をする学生は自己分析というものをしなくてはならない。自分のことを理解しており自身をPRする能力の高い学生ほど大人に好まれるからである。

面接においてある程度の自己紹介や自己PR、志望動機などを聞かれた後にアイスブレイクまたはとっさの判断能力を測る手段として、「あなたを色に例えると」「電化製品に例えると」「花に例えると」「動物に例えると」などの質問がなされる場合があると言われている。

このような質問にとっさに気の利いた回答をすることが望ましいとされている。あくまでも噂話に過ぎないが。

傾向が出ているならば対策を取りたい。赤本を解きまくり傾向を理解し対策を練った大学受験のように。私は時々、就職活動は大学受験に似ていると思う。閑話休題

 

さて、私を動物に例えると母曰く「猫だし犬」。高校時代の友人には「猫」と言われたことがある。私は「犬、庭先で寝ているゴールデンレトリバー」だと思っている。

今、猫と犬の2つがあがっており、それぞれの持つ意味あいについて考えたところ、猫は自由気まま、犬は忠実で真面目という文脈で使われている。猫のようであり犬のようである。大いに矛盾を孕んでいる。母は私のムラっけのある性格を揶揄して言ったものと見られる。友人もそうだろう。私自身は昼寝が好きであるという部分、自分自身が女性にしては背が高い、緩やかな天然パーマであることに焦点を当てている。

 

そもそもアイスブレイク的に唐突に投げかけられる「動物に例えよ」というお題は何を図ろうとしているのか。客観性の有無をだろうか。(図るの漢字が分からなくて四苦八苦して言葉を変えたりしてやり過ごしていたがとうとう調べた。)だとすると最も客観的ではあるのだが、的確に状態まで示している自身の答えは絶対に使いたくない。猫もなんだか自由人であると言っているようで気が引ける。動物がもつ世間一般的なイメージ性を私というメディアを通しての共有なのだろうか。考えれば考えるほどに今ある答えは言いたくないと思う。

ならば、犬や猫に代わる答えを導き出す以外に道はない。この後に及んで自身の身体的特徴をあげて動物になぞらえるなんて幼稚だと思う。キリンくらいしか思い浮かばなかった。強いてあげるとするならばカモシカ。いい意味で書いたので、自意識が過剰である。

ならば、同じニュンスでも寝ているなどの修飾語を取り払いコアラとでも言ってみようか。

 

もうコアラでいいか。コアラでいいや。調べてみたところ、よく眠るのは低栄養なユーカリを食べるからでエネルギーの温存の為であるということが分かったのだから。

 

結論を無理やり導き出したので投げやりになっている。そもそも動物に例えるよりも直接的に話をした方が早いので変な質問をなどしていないで休日の過ごし方や好きな食べ物などを聞いてくれた方が自分を丁寧に伝えられると思うのだ。できたらこういう質問にはあいたくない。けれど、新たな答えを導き出したので何も問題はない。

余談。「動物に例えると」という質問をされたら「コアラ」と答えたいと母に伝えたところ余計に怠けているニュアンスが強まったと言われた。